色 は 匂 へ ど 。

  色は匂へど 散りぬるを     ────鮮やかに咲く いずれ散るのに   わが世誰ぞ 常ならむ     ────誰の世であれ 永久(とわ)などなくて   有為の奥山 今日越えて     ────因果の山々 今日も越えゆく   あさき夢見じ 酔ひもせず     ────夢は見るまい 酔わぬ我が身で  ただ一つ、その琥珀の瞳をアタシは愛した。  つかみどころのない男だ。すべての期待を寄せつけない、ずるくて器用で衝動的に生きるその身は、 他に一片の価値もない。  無駄なやさしさは、いっそ罪悪だった。 「……何だよ、戻ったんなら言えよな」  小さな廓の一室を、払うものもろくに払わず占領している。本来、稼ぎ頭のアタシにだけ許された特 等席──二階の窓枠へ腰掛け、夜に賑わう界隈をぼんやりと見下ろして。  この眼だ。ここへ来る奴に、そんな眼をしたのは居ない。皆ギラギラして、何かに必死で、生に満ち 溢れている。アタシはそういう輩の相手が嫌いじゃなかったし、この町も、廓も、仕事だって気に入っ ている。  むしろどうでもいいのは、風変わりなこのオモチャの方だ。 「赤、似合うなぁお前」  渡来人の血を引くという、透ける色した髪と眼ばかりが目立って、そのくせ中身はまるで空っぽ。酒 はやらない、バクチも打たない、なのにその暮らしぶりときたら、一介の遊び人と何ら変わりない。 「なァに言っちゃってんの、今更」  アタシは着物の裾を翻す。五色の蝶が舞う、深紅の衣はお気に入りの一枚だ。  赤ばかりを好んで纏う。赤は、血の色。 「お客サンが見えたわよ、今日」 「客?」  いつもは小憎らしいほど悠然と構えた男が、意外そうに語尾を上げる。アタシはもったいぶって、そ れを愉しむことにした。──これが、最後のおたのしみ、だから。 「そ。黒装束のお兄サン」  うつろだった眼に、光が宿る。案の定、弾かれたように立ち上がったその背に、まとわりついて絡み つき、ようやく畳へ腰を下ろさせて。 「別に、今スグどうこうって状況じゃないのは、アタシ見てれば判るでしょ」 「……で、奴は何て?」  心当たりがあるから、誰とは聞かない。所詮まっとうじゃないのは、この男も一緒なのだ。昼ひなか、 ひなびた廓に堂々と押し入ってくる、あの黒装束と同等に。 ここに男を囲っていたはずだ。名を何という  全身はおろか、表情すら包み隠して、冷たい目だけが無遠慮に光って見えた。隠すのはきっと、浅ま しい自分自身を解き放つ勇気がないから。だってこんな格好、忍ぶどころか余計目立つに決まってい る。 男の名を何という。素性は。どこからやってきた。いつからこうしている。目的は何だ 『チョット、それが人にモノを聞く態度なワケ?』  うっとおしい。刃なんてチラつかせちゃって。アンタは知らないんだ、廓の女はそんなモン見慣れて いる。──なぜなら、ここは命が咲いて、散る場所。 いいから答えろ、女  あからさまに刀身を光らせる仕草が、ますます嘘っぽく、バカバカしくて笑ってしまう。 『……やァだ、お兄サン。ここは刀の世界じゃないから、刀じゃ会話はできないのよ』  髪に手を入れ、結い髪をバサリと解いた。羽の広がる開放感に、自然と心も軽くなる。 『初めて来たなら、教えてあげる。この世界でモノを云うのは、丸裸の命だけ。  すべての刃は、心の中で研ぎ澄まされる。そんな薄っぺらな飾り、何の役にも立ちゃしないわ』  ひどく無関心だった瞳が、初めてアタシを映していた。どこまでも無礼な男。土足で踏み込んでおい て、主の顔も見ないつもりだったとは。 『ただの娼婦が斬りたきゃ、斬ればいい。ここじゃお兄サン、場違いはアンタの方なのよ』  ここはアタシの世界。アタシらしく生きることを許された、唯一の場所。たとえ何のために生きるか は、選べなくっても──何に死ぬかは、アタシが自由に決められるの。 小娘よ。惚れた腫れたも結構だがな……まあ、いい。二度会うこともなかろう  仕舞いまで的外れな男ね。アタシは別に、そんなものには興味がない。ただ、綺麗なモノはずっと眺 めていたいのよ。例えば、アンタが消えた窓から差し込む、その穏やかな夕風に似た、甘い、琥珀色 の──。 「いろか?」  アタシの名を呼ぶ、涼しげな声とは対照的に、フワフワした髪は、あたたかで小鳥の羽毛みたい。 「ふふっ。生き別れの弟を探してるんですって。  でも、アンタの素性なんてこっちが知りたい、って言っといた」 「クッ……、ばァか」  座り込んだ肩に顎をのせ、喉の奥でくつくつ笑っていると、やわらかな指が、アタシの髪に降りてく る。 「迷惑、かけたな」 「かけられなかったことに、しといてあげるわ」  そういえば、年上ばかりを相手して、つい忘れてしまうのだけど。この、いまいち大人になりきれな い男と、アタシの歳はいくらも変わらないんだっけ。 「俺も、言っておきたいことがあった。明後日、ここを出ようと思う」 「そう」  パッと肩から離れ、アタシは身を翻す。蝶はね、花に止まるだけが全てじゃないの。 「流れ者のアンタが、ここを発つなんてちっとも珍しくないけど。  もっと別のコトが云いたいんでしょ? 言葉、足んないわよ」 「そう……そう、だな。  お前にとばっちりを食わせた以上、もう、戻ってはこれねーな……」  追うものと追われるもの、どっちがどっちかなんて、差異はない。危険に身を晒さなければ、生を実 感できない、気の毒な男。  アタシが生きるこの世界は、決してアタシだけのものじゃないから。 「そーね。それが賢明じゃない」  最低限の分別があって、安心したわ。アンタはもっと、大事なものを探さなきゃ。それがアタシじゃ ないってことは、よくわかる。 「一度くらい、最後にフツーの客として入ってみるか」 「チャンチャラ可笑しい。アタシ、客はちゃんと選ぶの」  怒ったフリしてみせる男ともつれ合い、畳へひっくり返る。何も考えず笑い合うこの夜が、アタシは 好きだった。ぬくもりがぶつかる。眼差しが弾けて散る。笑い声が、全身でこだまする……。  あぁ、ここにはアタシが二人居る。  鳥の鳴く声を、久々に聞いていた。  あれで律儀なあの男は、歓迎されていないのをもとより承知で、廓の女将や、見かけた面子に頭など 下げて回ってから、チンタラここへ姿を現すに違いなかった。  ほうら、ね。 「この時間に起きてんの、珍しいな」 「一回きりの見送りくらいは、ね」  珍しく少し照れたように笑って、男は軒先で空を見上げる。  朝っぱらから、やけにイイ天気だ。涼やかな空に透ける髪も、そよ風でさらさらと波打ち、見るから に心地良さそう。  だから、そのまま行くんだとばかり思ったら。 「……世話んなったな、いろいろと」  自分の都合で出ていくクセして、急に淋しげに目を細め、足を止めたまま動かなくなる。 「ま、今度はシッカリ稼いで、客として来るんだね」  パタパタパタ、と手を振った。ほとほと、つきあいきれない男。どうしてアタシがアンタをあやさな きゃなんないのさ? アンタなんて、アタシが愛した琥珀色のほんのオマケ、単なるろくでなしに過ぎ ないんだから。  早く、行っちまいな。 「じゃーな」  極上の赤を、今日もアタシは身に纏う。瞳にそれを焼きつけ、アタシの笑顔に後押しされて、男はよ うやく踵を返した。  満足してそれを見送る。多分もう、振り返らない。  あの、吸い込まれる深い瞳を眺めることも、二度とない。  わかっているけど、何かが延々続くだなんて、そもそも思っちゃいないから、いつだって覚悟はでき ている。  何もかもが、本当はたった一度きりの、その積み重ねなんだ──。  だから美しく、だから胸を焦がす。残像が、鼓動が、焼きついて命のアザを散らし、赤い血を沸騰さ せ、アタシに生を知らしめる。  涙なんてもの、要らない。せっかく熱く燃えているのに。カラダ中で咲き乱れるこの想いごと、アタ シは愛している。  綺麗なモノが好き。今のアタシは、最高に綺麗だわ。アンタが残していったもの、それがアタシを掻 きむしり続ける限り、美しく燃えられるって、カラダがそう云ってるの。  張り裂けるギリギリまで、羽を広げて、静かに生きる。あの男の価値が、瞳の琥珀にすべて宿るのだ としたら、アタシの価値は、この極彩色の羽にある。  透きとおる琥珀に映し込まれた、羽の色は、うっとりするほど鮮やかだった。  夢とうつつの区別もつかなくなるほどに。  愉しかったわ。  ≪ 了 ≫

こんにちは。久しぶりに真っ向からの恋愛ものです。 以前、男の方を軸に作ったお話があり、それをモチーフに、 新たに短編として書き下ろしてみました。 以前のそれと比べてみると、書きたかった「彼女」が色濃く出ていて、 昔の方が空っぽな「彼」に似て、今回は想いが軸にある「彼女」に似て。 なんだか、作品そのものが人に見えてしまって、 ちょっと面白い気分になりました(^^) 2008.10 霞 降夜


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