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- コラム - |
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After the Rainの起原
現在のように、キャラクターの性格づけがはっきりしてくる以前、
After the Rain の主役は、「人」ではなく「歌」でした。
誰かが歌うための歌を作りたい。作ったからには、歌って欲しい。
そんな思いから、まずは四人の歌い手たちが生まれて、
彼らが干渉しあううち、独特の空気感を紡ぐようになりました。
実は当初、コマちゃん以外はほとんど脇役扱いで。
それがこんなふうに、四人等しく重みを増していったのは、
わたしにとっても予想外の、いつのまにかの出来事でした。
訴える力という意味で、強いキャラは、「タカ」になるのかもしれない。
でも「アンジー」の目線がないと、タカの全容は見渡せないし、
二人を激しくリスペクトする「コマちゃん」がいなければ、
音楽への憧れとか、想う気持ちに触れられない。
それらを繋ぐ役割を果たしているのが「ヨウト」だけれど、
同時に、日常に埋もれるささやかな幸福感とか充足感は、
彼だからこそすくい取れる、という気がしていて。
今となっては、誰が欠けても物足りないのが After the Rain だし、
四人の想いがぶつからなければ、歯車が回って先へ進むことはできない。
何より、「音楽」を表現しようと思ったら、
彼らのどの要素が失われても、絶対的に何かが足りない─
ああ、そうか。
After the Rain の主役は、「歌」から「音楽」へと変わっていったんですね。
今では、それをたのしみながら、続きをあたためています。
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After the Rainの詞
最初に歌があって。それを歌うために、彼らは生まれて。
今ではそんな After the Rain のための詞を、書いています。
もともとわたしは、何のポリシーもなく散文を書き散らす人間でしたが、
面白いことに、彼らのために書くときだけは違っていて、
わりとはっきりした、指針のようなものがあります。
一つは、たくましいほど前向きな歌にはしないこと。
もう一つは、うなだれても必ず顔を上げて終わること。
余裕なんてものとは無縁の、葛藤の季節を生きる彼らにとって、
「歌う」とはどういうことで、なぜそれを渇望するのか─
その答えが漠然と見え隠れするような、そういう詞を意識して書くうちに、
自然と、今の詞の流れができあがっていました。
多分、彼らの歌は一つ一つが決意表明で、
同時に、自分自身を鼓舞するドーピングでもあると思うんです。
だから時には、現実に期待や希望が入り混じったりもするけれど、
総じて「嘘っぽい笑顔」を浮かべる歌にはなりえない、
けれどギリギリの抵抗で、いじけて終わることもしたくない。
「必死」って、あまりいい意味では使われない言葉かもしれないけれど、
彼らは「必死」だからこそ、純粋なパワーがあって、
それが魅力で、徐々に周囲の支持を得ていくんじゃないかなぁ…っていう、
そういうイメージのもと、彼らの詞はつづられています。
さらには、普通の学生にしてはどこか背伸びしたような、
だからその時期を過ぎた人のどこかにも、引っかかるような、
そういう歌を歌って欲しい、とも思っています。
だけど、まっすぐぶつかる姿勢だけは崩したくない。
それはわたしが思う、学生の原点、なのかもしれません。
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駒先克也と、コンビニおにぎり >> ■ School Festa のコラムです。
高校に入るまで、彼は「音楽」というものを、どこか遠巻きに見ている人間でした。
自分の世界とは隔たれた、直接は触れることのできない世界。
そんなふうに、心の底からかたく思い込んでいた。
その境界にヒビを入れたのが、After the Rain の仲間たちとの出会い。
完全に垣根が崩壊した瞬間が、あの学校祭のステージデビューです。
ステージを終えた昼休み、屋台めぐりに行こうとするコマちゃんの、
鞄の底にひっそりと転がっていた、コンビニおにぎり。
野暮だなぁ、と。
コマちゃんは、本当は自分のことを笑ったんだと思います。
確かにそれで空腹はしのげるけれど、ひどく無難で、面白みのない、
そういう選択を象徴する「おにぎり」と、これまでの自分が、重なって見えてしまって。
ああ、つまらないはずだよなぁ、と。
やってみるもんだよなあ、と。
彼は今でも、音符にフリガナ振らないと読めないような人なので、
ステージに立って、彼らに混じって演奏をするということは、
きっと、ヤキソバ百人分平らげるのとおんなじくらい、大それたことで。
でも、今は「ええい、やっちゃえ!」って気持ちになっている。
はにかみ屋さんで、普段は控えめに控えめに生きているこの人ですが、
芯には、いざとなったら斬り込んで行く強さがあって、
ひとたび本気になると、ふわりとしたキャラクターが豹変します。
それをいち早く見抜いてるボーカルのタカは、だから自分のケンカ相手に、
一番テンパっているはずのコマちゃんを、選んでいます。
他の仲間はまだ、コマちゃんのそういう面まで見抜けてはいないのだけど、
タカの持つ「勘のよさ」には気づいていたので、
無言で歩調を合わせることを、2ndステージではやってのけています。
とはいえ……
一歩間違えば、すべてが破綻することは、多分全員がわかっていた。
その場の勢いとはいえ、果敢な人たち、ですね。
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安條靖之と、子守唄 >> ■ School Festa のコラムです。
彼がギターを爪弾くと、子守唄に似た慈愛を帯びる。
それは彼自身が、そんな自分をどこか持て余してしまっている、から──。
普段の彼は、とても抑制されて、落ち着き払った人間で、
年のわりに目線が高いので、つい同級生を見下ろしてしまう癖があります。
周囲の大半からは、少し固くてとっつきにくいと思われていて、
そんな相手には、彼も手ごたえを感じないため、興味は希薄です。
だから必然的に、寡黙でクールに過ごすことになる。
ところが、それをぶち壊す人間が現れました。
気が抜けないくらい勘がよくて、皮肉も、言葉の裏で意図するところも、
およそ今までの同級生なら気づきそうもない、いちいちの微妙なニュアンスまで、
余さず嗅ぎ取った上で、わかりやすく反応する人間が現れた。
これはもう、面白くないわけがありません。
思わずいじくり倒すうち、彼はギター以外の「捌け口」を得ることになり、
そして気づきます。
「ああ、自分は本当は、こんな風に生きたかったんだなぁ」
タカの隣に、彼が居続けるのはそんな理由からです。
いつのまにか、クールになるのを止めている自分がいる。
思いつきをそのまま口にしてみたり、感じたままを表に出してみたり、
相手の言動を同じ高さで受け留め、その背をちょっと押すようなことを、
頭じゃなく、心で放つ言葉を、さらりと言ってみたくなる。
ほんとうはそんな自分が、彼は一番好きなんです。
けれど長年の習慣で、タガを外してくれる「何か」がないと、
自分の意志だけでは、うまく切り替えができてくれない。
器用なんだけど、不器用。
そんなアンバランスさが生み出すフラストレーションが、
彼のギターに命を吹き込む、源です。
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縞村洋斗と、ミルクティ >> ■ School Festa のコラムです。
目の前に、どんなにシブい現実があったとしても、
ミルクと砂糖でくるくるっとやって、全部おいしく飲み干しちゃう。
彼の大好きなミルクティは、彼の生き方そのものに似ています。
本性を見せないという意味では、一番ガードが固い人です。
能天気だの、スマイルマークだの、タカにはいいように言われていますが、
基本的に彼の表情は、すべてが周到に作られた「仮面」です。
といっても、それは外せないほど肌になじんでいるから、
たとえ一人になっても、急に顔つきが変わることはありません。
むしろ泣くときも笑顔で泣けてしまうような、そんな人です。
アンジーが、タカ以外には見透かすことを言わない理由も、
コマちゃんの場合は、単に本人が嫌がるのを察してのことだけど、
ヨウトに関しては、アンジーにも掴みきれていない、というのが本当のところで。
そのくらい、演じることにかけては玄人です。
言ってみれば、自分自身も騙せてしまうくらいの、本格派。
そんな彼が、酔っ払うほどゴキゲンになった理由は、
「一部始終を、漏らさず全部見てきたから」
ヘラヘラしながらも、彼はグループ内でいま何が起きているのか、
すべて敏感にキャッチして、その上で自分のポジションを見定めています。
今回は、あえて見守り役に徹してきたんじゃないでしょうか。
だからこそ、フラストレーションの溜まる分、終わってホッとしただろうし、
あたかも観客のような気持ちで、感動した──。
観客の目線。これが今後の彼のキーワードです。
いつか、それでは満足できなくなる時が、きっと来る。
その瞬間が、彼の転機なのだと思います。
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秋澄鷹流と、夜の空 >> ■ School Festa のコラムです。
タカが夜空を見上げる時、それは「死体置き場へ帰る」時。
そんなもの、誰だって好きになれるはず、ありません。
自分に害のある場所ではない、けれど決して居心地のいい場所でもない。
死体置き場には、自分以外に命の反応は一つもなくて、
だけど目の前にはこれ見よがしに、かつて愛しかった人の亡骸がある。
いや、今だって本当は愛したい、愛してはいるのだけど──
心に触れることも、体温を確かめることもできない相手。
できてはいけない相手。
仮にそんなのが向こうから触れてこようものなら、
人は、受け入れられない真実の恐怖ゆえに、
ゾッとして、反射的にその手を振り払ってしまう。
ひたすら「手のかからない子」で居続けることを願った結果、
タカが支払ったのは、そんな代償でした。
友人関係で、もう少し穴を埋められればよかったのですが、
彼の母親は辛い時、勢いでパーッと引っ越してしまう人なので、
タカにしてみれば、いつ別れるともしれない友人に重きを置くのは、
あまりにリスキーで、かえってしんどいことになる。
だから、ああいうキャラクターで自分をごまかしながら、
距離をとって人と関わる、ある程度以上には接近させない、
そういう舵の取り方を選ぶように、自然となったのだと思います。
生きるのに支障があるほど、キツくはなかった。
涙なんて、もう何年も流してはいなかった。
彼にとって本当にキツいのは、過去よりむしろ、今この瞬間です。
人と触れ合う生々しさに、自分でも止められないほど魅かれている。
だけどそれが重さを増せば増すほど、失う瞬間が頭をよぎり、
怖くて怖くて、たまらなくなってしまう。
この「入口」を越えてしまえば、だんだんラクになるはずですが、
今はまだ、身体がビックリしている段階なので、
自分でもうまく、感情を制御できていません。
タカの歴史からしたら、きっと珍しい瞬間です。
不真面目でも「手のかからない子」のエキスパートである彼が、
自分を制御できないなんてこと、そうあるとは思えないので……。
そして今。タカの目に映る夜空はもう、
すっかり、別のものの象徴となってしまったようです。
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